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2010.02.10

悪人

吉田修一著。
新聞連載後、単行本化され、かなりの書評で絶賛されて何かの賞も取ったし、この秋には映画も公開されるという話題作。

購読している朝日新聞に連載されていたが、現代美術家の束芋の手になる挿絵が気持ち悪くて、読めなかった。その後もなかなか手に取る気になれなかったのだが、水村美苗の「本格小説」が気に入った人なら面白いはずというお勧めもあって、文庫化されたのを機会に一気読みした。。

長崎、佐賀、福岡を舞台にしたある孤独な殺人犯と被害者、彼らを取り巻く人々の綾なす運命。
殺した男と、殺さなかった男。殺された女と、殺人者と共に逃げた女。
登場人物たちはさまざまな人の目を通して立体的に描かれる。
殺人を犯した主人公の男、彼と共に逃げることを選んだ女、この二人の置かれている境遇の「行き所のなさ」と、ちょっと美化されすぎているかなと思うくらい、悲しいほどナイーブで誠実な内面。
たしかに、彼らの衝動的な行動に共感できない部分もあるかもしれないけれど、作者はそれを見下すのではなく、そうせざるを得ないところに追い込まれた事情を解きほぐすように描いている。
そして、読者は、知らず知らずのうちに犯人の男と、彼とともに逃げた女の側に立って、彼らを受け入れなかった社会を敵視したくなってくる。

もしも、新聞の三面記事でこのような殺人事件が報じられて、犯人がこれこれこういう男、というように数行その経歴や職業が書かれる。ああ、こんな生い立ちだから仕方がないんだとか、どうせろくなヤツではないに違いないとか、その数行からすばやく判断する。テレビのワイドショーが一時的に追いかけることもあるだろう。でも、それらはどれほど彼を理解することに役に立つだろう。私たちはそれほど彼に共感することもなく、むしろ、自分とは関係のない世界の「反社会的」存在として向こう側に追いやってしまい、いつかは忘れてしまうに違いない。
「悪人とは誰なのか」というこの小説の惹句は、このストーリーにだけ当てはまるのではない。世の中に数多ある犯罪加害者の側の物語に、私たちは型どおりの「悪」の概念を超えた想像力をもつことができるはずだ。

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2009.11.14

カデナ

『カデナ』池澤夏樹 新潮社。
折しも、民主党政権となって初めての米大統領の訪日。本来ならば沖縄の普天間基地の移設問題は避けて通れない論点だが、双方の政治的配慮から先送りされたようだ。米軍基地の大半が集中する沖縄。嘉手納という漢字でなくカデナと書かれるタイトルを持つこの小説の舞台もそのカデナにある米空軍基地だ。時代はそのカデナからハノイに向けてB52爆撃機が飛び立っていた1968年。

主要な登場人物は4人。
フィリピン軍属とフィリピン人の女性の間に生まれたフリーダ・ジェイン。沖縄に駐留する空軍曹長。
フィリピンに住む反米活動家の母から軍の機密漏洩の指令を受ける。B52のパイロット、パトリックの恋人。
嘉手苅朝栄。戦前に一家でサイパンに移民、戦争で両親と兄を失い、米軍捕虜となって帰国。収容所で覚えた英語、運転の技術を生かして基地に出入りする運送業を興し、今は引退して模型飛行機屋の店主。趣味はアマチュア無線。
タカ。5歳の時に母が自殺、異父姉の民子とともに朝栄夫婦に育てられ、その後アメリカ人の養子として渡米するが帰国。ロックバンドのドラムス担当。
安南ことアナンさん。泡盛用のタイ米を商うベトナム人商人として戦前はサイパン、戦後は沖縄に住む。表向きは商人だが、沖縄在住の主目的は諜報活動。
このうちの、阿南さん以外の3人が交互に語り手となって、回想形式でお話が進む。
 沖縄を舞台にしているけれども、沖縄人らしい沖縄人はむしろ脇役で、サイパンやアメリカに住んだ経験から沖縄人としてのアイデンティティからちょっと距離を置いているような二人、そして外から沖縄にやってきた人々。つまり、作者の最近のテーマである「移動する人々」。

サイパン、フィリピン、沖縄の共通点は、太平洋戦争において被災地になったことと、アメリカの支配。そして、この小説内現在の起点である1968年には、アメリカはベトナム戦争の真っ最中だった。
サイパン、フィリピン、沖縄の体験が、今、ベトナムで再現されている・・・心に過去の戦争の傷跡をとどめる3人が、阿南さんに協力して今の戦争に小さなくさびを打ち込むささやかな活動をする・・・米軍の北爆の情報をベトナム側に漏洩するというスパイだ。それも素人のスパイ。

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2009.10.15

ゼロの焦点

今年は太宰治の生誕100周年であると同時に松本清張の生誕100周年でもあり、どちらの作品もこぞって映像化されている。松本清張のこの作品も、太宰の「ヴィヨンの妻」とならんで近く映画が公開されるものの一つ。主演女優たちの写真(広末涼子、中谷美紀、木村多江)が帯につけられた文庫本が平積みになっていて、つい手に取った。
 松本清張の本は、ずっと昔に何冊も読んだのだが、もうあらかた忘れてしまった。この本は、読み始めたときにほとんど記憶がなかったので、たぶん、読んだことがなかったのだろう。ところが、半分くらい来たところで、その後の筋がほぼわかってしまった。どうやら、ドラマ化されたのを見たことがあったようなのだ。Wikipediaを見てみると、1983年に放映されたバージョンのようだ。他のキャストは覚えていないのだけれど、大谷直子が出ていたことはうっすらと思い出せるから。

 こういったミステリーで筋書きを書いても仕方がないので、そうでないところの感想を書こう。
 作品の時代設定は昭和32、3年頃。主要登場人物の年齢はほぼ私の両親の世代に当たる。この作品を読んでいて感じるのは、この時代の空気と、今とはきわめて異なる時間感覚、人間関係などである。やはり、今から50年前となると、もう現代の話というよりは、異次元というか古典の世界に近い。けれど、文章に力があるからどんどん読めるのだ。

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2009.02.01

日本語を開く、日本語を護る?

「なんのための日本語」加藤秀俊 中公新書
 水村美苗の「日本語が滅びるとき」がベストセラーになっているが、たまたま行った本屋にあったのでこちらを買って読んだ。
 これが、なかなか示唆に富んでいて面白かった。発行は2004年。1996年から2003年春まで7年近く、ニフティの「気になる日本語」という電子会議室でパソコン通信仲間とことばについて語り合ってきたということが書かれていたのだけれど、あのフォーラムのことかしら。著者の日本語に対する考え方は少数派だと書かれているが、あまり違和感なくするりと読めたのは、すでにその主張の源流になるところを身近に聞いていたからかもしれない。
 著者の主張で重要なのは、日本語は日本語を母語として話す人だけのためのものではなく、いまや外語(母語に対するのは外国語ではなく外語だというのも著者の主張である。母国語ではなく母語という言葉を意識的に使う人は増えたが、それに対する母語ではない言葉を外国語と言っていてはたしかにおかしい。言葉は国に属するものではないのであるから)として日本語を学び、使う人のものでもある。ちょうど、英語がアングロサクソン系の人々の専有物ではなく、外語として学んだ人同士のコミュニケーションにも活用されているように、日本語も外語として使われている。

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2009.01.26

星兎

『星兎』寮美千子著、パロル舎(1999)。
星からやってきた「うさぎ」と少年。他の誰とも共有することのない、自分一人だけにとっての大切な存在との出会いと別れ・・・平たく言ってしまえば、前回やや酷評してしまった「ラースとその彼女」と同じプロットながら、とことん通俗性を排し、少年期の清らかな印象だけを描ききることに成功したファンタジー。

他人の目からは見たらありえない存在との濃密な交流。それ自体は珍しくはないテーマだ。しかし、映画の「ラース」は、第三者の目から見た映像なのに対し、この物語は「ぼく」が一人称で体験を語る。だから、読者は主人公に感情移入しやすいし、その体験を自分のものとして共有しつつ読む。でも、それだけじゃないな。こういうお話はやっぱり、思春期の入り口にいる若いというか幼い者のものだという気がする。
もちろん、大人だってファンタジーに生きてもいい。
でも、夢から覚めて、現実の生活を生き始めるとき、少年から大人へという移行と重ねた方がしっくりくるんだ。

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2008.12.30

2008年に読んだ本

停電の夜にnterpreter of Maladies
Hell-Heaven
Unaccustomed Earth
Jumpa Lahiri The Namesake
戸田山和久 「論文の教室」
本田由紀 「家庭教育の隘路」
幸田文 「流れる」
須賀敦子 「ミラノ 霧の風景」
ナタリア・ギンズブルク 「ある家族の会話」
ガブリエル・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」
内山節 「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」

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2008.04.14

Unaccustomed Earth

ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)、待望の新作。
表題作「Unaccustomed Earth」ほか、7編が収録されている。短編の多くはニューヨーカーなどに発表されたもの。私もニューヨーカー誌、およびそのウェブサイトですでに読んだものもある。

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2008.03.16

Hell-Heaven

 Jhumpa Lahiri の短編。雑誌ニューヨーカーのウェブサイトで見つけた。
 短編集「Interpretor of Maladies」を読み終えて、別の小説が読みたくなり、ネット上でこの小説を見つけてダウンロードして読んだ。
 (web上の公開期間はすでに終了。本作は、2008年4月発行の小説集「Unaccustomed Earth」に収録。同年秋、邦訳も「見知らぬ土地」のタイトルで出た)
 仕事一筋の大学教授の父と、お見合いで結婚し、故郷の濃密な人間関係からも生活環境からも切り離された孤独な専業主婦の母という組合せは「セン夫人の家」とそっくり。そこにやはりカルカッタから留学してきたプラナブ・カク(カクは叔父さんというような意味)があらわれ、たびたび食事をしていくという設定は「ピルザダさんが食事に来た頃」みたい。母が娘にアメリカ人の男との結婚なんてとんでもないというところは、もうどの話にも共通して出てくるし。そして、過去の一時代のエピソードをクロースアップで描いた後、だんだんカメラが引いていくと、語っている現在というのはそのときから20年以上後のことで、短編なのにすごく長い時間が詰め込まれていたことがわかるというところは「三番目で最後の大陸」と同じ。

もうひとつ、ダウンロードして「Once in Lifetime」も読んだ。これもとても深く心に残る話。
(Unaccustomed Earth では、この続きが読める)

これほどまでに似たような素材を繰り返し使いながら、まるで違ったドラマを作り出し、そして「うわっ」というびっくり箱のラストシーンを用意する。前半を読んでいる間は、見慣れた世界、見慣れた価値観、見慣れた展開なのだが、その先に今度はいったい何が仕掛けてあるのかが楽しみで次々読んでしまう。

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2008.03.15

Jhumpa Lahiriを英語で読む

 ジュンパ・ラヒリの名は、最初の短編集「停電の夜に」が新潮社のクレストブックスから出て、書評で絶賛されたときから気になっていた。でもずっと手に取ることはないままだった。やがて、第二作の長編「その名にちなんで」も翻訳され、ミラ・ナイール監督の手で映画化された。映画も見たい、原作の方も、と思っているうちに最初に読むことになったのが、短編「Nobody's Business」だった。たまたまそれが載っていた古いニューヨーカーを手にしたからである。

 ラヒリはインド系アメリカ人の作家。しかし、彼女の作品に必ず出てくるのは「インド人」ではなく「ベンガル人」であり、地名であればインドである以前に、カルカッタである。そして主要な舞台はアメリカ東海岸。

この「Nobody's Business」(アメリカの短編小説のアンソロジーには入っているが、まだ翻訳されていない)は、こんなお話。

 ポールとヘザーの住むボストンの借家に第三の借家人としてベンガル人のサン(本名サンギータ)という女性がやってくる。彼女の元にはたびたび見知らぬ男たちからのデートの誘いの電話がかかってくる。彼らはアメリカに住むベンガル人で、親族のネットワークを通じて彼女の電話番号をゲットしてきたのだ。しかも、サンにいわせれば、それはデートというよりお見合いなのだという。そして彼女はいつもすげなく彼らを断ってしまう。「だって、私には恋人がいるんですもの」と言って。でも、その彼女が恋人だと思っているハーヴァードの講師の男はなんだかとんでもない奴で、サンの美しさに惹かれている冴えない大学院生のポールはなにかとやきもきしてしまうのだ。やがて、ひょんなことからその恋人の正体が割れ、ポールはそれをサンに知らせるために一計を案ずるのだが・・・。

 ボストンというアカデミックな人種の住む街を舞台に、今でも「お見合い」が幅を利かせるベンガル人の世界が、不思議な色合いを持って描かれる。ラヒリの文章は平易な短文の積み重ねで、凝った言い回しはほとんどない。それでいて、たとえば、壁紙の色や、顔に触れたスカーフのそこはかとない香りや、そんな描写の数々が鮮やかなイメージを喚起させる。

 ああ、もっとこの人の作品を読みたいと思っているうちに、映画の上映期間が終わりに近づいていた。それで先に映画を見てしまって、映画もとてもよかったのだけれど、やっぱり本を読まなくてはと思う。そこでまた考えたのだ。せっかくだから、他の小説も英語で読んでみたらどうだろう、と。

 私はふだん、それほど英語で小説など読む方ではない。楽しみのための読書で英語で小説とかエッセイを読む習慣はほとんどないのだ。でも、ラヒリの本ならきっと読めそうな気がした。
 それで、最初に手にしたのが、講談社英語文庫に入っている「停電の夜に Interpreter of Maladies」。
 なぜ、「停電の夜に」の英語の題が「病気の通訳」なのかというと、どちらもこの短編集に収められている短編のタイトルなのだが、短編集のタイトルとして、英語の原著は「病気の通訳」を採用し、日本語翻訳版は「停電の夜に」を採ったということなのだ。この講談社英語文庫版のカバーは燭台の上のロウソクの写真でとてもきれい。「病気の通訳」よりも「停電の夜に」の方がロマンチックな響きだよね。それで、この題にしたのかしら。ここから先は、読む楽しみがなくなるから、これから読みたい人は飛ばしてくださいね。できるだけネタばらしはしませんけど。

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2008.03.12

進化と病気

『進化医学からわかる肥満・糖尿病・寿命』井村裕夫 岩波書店
 進化医学という言葉は初めて知った。人間の身体の持つ特性を進化の視点から見るということはよく聞くが、それを医学に応用したものだといえる。この本では、その中でも、なぜ野生の動物にはない病気が人間にあるのかとか、病的な肥満になるか、そして寿命がどのような条件で延びてきたのかをとりあげている。
 同じ著者による『人はなぜ病気になるのか 進化医学の視点』という本もあるようだ。
 代謝、ホルモン、脳神経系の作用など、専門用語や物質名がたくさん出てくる。各章につけられた参照文献の注の数を見ても、最新の研究をもれなく盛り込もうとした誠実さを感じる。
 人間の体脂肪がほ乳類の中でも飛び抜けて多いこと、それが脳というエネルギー消費の多い器官を発達させた代償であるという話はおもしろかった。たびたび出てくるのが、進化におけるトレードオフという考え方である。一般向けには硬いかな。面白いテーマなんだけど。
 
 

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