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2010.01.15

ディア・ドクター

昨年のキネマ旬報ベストテンで日本映画のベストワンに輝いた作品。「ゆれる」の西川美和監督。
真っ暗なたんぼ道の中で何やら捜索に走り回る人々・・・どうやら、村の診療所の医師が失踪してしまったらしい。警察の捜査が始まり、捜査の過程でその医師の人となり、経歴、なぜ失踪しなくてはならなかったのかが時を遡るようにして、徐々にあきらかになっていく。
 数ヶ月前、高齢化の進んだ農村の診療所に都会の大学を出た研修医相馬(瑛太)がやってきた。診療所の医師伊野(笑福亭鶴瓶)は村人の信頼厚く、大竹看護師(余貴美子)とともに日夜診療にあたっている。しかし、その医師の言動はというと、最新の医学を学んできた若き研修医には腑に落ちないところもあった。だが、彼の献身的な診療活動と気さくな人柄に相馬自身もこれぞ医の原点と惹かれていく。なかなか診療をうけたがらない住民、かづ子(八千草薫)を往診で診察し、彼女が重篤な病気である可能性を知る。しかし、彼女は自分がもしも不治の病であるとしても、医師となっている自分の娘には知られたくないとも漏らし、伊野は彼女にあるウソをつき通そうと画策したのだが。

 観客は、伊野が失踪したということ、どうやらニセ医師だったらしいということを冒頭から知らされる。種明かしはすでにされているにも関わらず、では、なぜそんなニセ医師が医師としてこの村で必要とされ、信頼されてきたのか、そして、なぜ失踪せざるをえなくなったのか、という謎解きに身を乗り出したくなるわけだ。捜査に当たる巡査部長(松重豊)と警部補(岩松了)の二人には、この小さな村の中でどうしてそんなウソがまかり通ったのか理解できない。けれど、ウソでもいいからこんな医者がいて欲しいという思いが正規の医者でなくても名医にしてしまう。医療機関に薬を売り込む製薬会社の社員(香川照之)は伊野とは持ちつ持たれつの関係を築いていたが、伊野に騙されていたことには気づかなかった。そして、かづ子は、どうだったのだろう?捜査の過程で「彼はあなたの病気の治療として何かしたか」と問われて「なんにも」と答える。
 夏の夜、相馬と伊野との医療問答の中で、伊野は思わず「おれには資格がないねん」と本音を漏らすが、相馬にはそれが比喩的な謙遜にしか聞こえない。ただ、あとになってから、そういえばと思い当たるところは多々あるにも関わらず。
 騒動がおさまってからの後日談として、一度は主のいなくなった診療所に相馬がまた医師として戻ってきて、伊野の志(?)を受け継いだ活動を続けているところが映し出される。
 そして、娘による正しい診断を受けて今や都会の病院に入院しているかづ子の近況。そのいたずらっぽい終わり方。
 なんといっても、西川美和のオリジナル脚本は今回もよくできていて、また役者がみんな達者。伊野と相馬の深夜の医療問答のシーンは圧巻だった。「ゆれる」の主演俳優だった香川照之は今回は脇に回ったけれど、こんな役でもすごい存在感を見せてしまうのはさすが。余貴美子のようなしっかり者の看護師がいたら、医者なんていらないというくらい。鶴瓶も難しい役どころをよくこなしていましたねえ。いくつになっても八千草薫は美しい。あんな田舎のおばあちゃんの役をやっても光ってしまう。
 いろんな見方のできる映画でしたね。現代の僻地の医療問題として見れば、身につまされる地方もすくなくないのでは。好きこのんで、いなかの診療所に赴任してくれる医師などなかなかいない。医師も都会で便利なところで開業した方が暮らしやすいもの。不便を厭わずに来てくれる医師がいれば、それこそ神様扱いになってしまうのも無理はない。で、医療のなかでも、あるレベルの医療は、最先端の医療の知識や技術じゃなくて、ただそこにいてくれるっていうだけで機能するものだったりするのかもしれない。もちろん、そこにはやっぱり何らかの権威があってこその機能なのだが。
 伊野のした無資格医療行為は許されることではないのだけれど、相馬とのやりとりの中で言っていた、(無資格であろうと)現場に飛び込んでしまったらとにかく次々飛んでくるタマを打ち返していくしかないといった表現に真実を感じてしまった。で、結局、騙されたはずの相馬が現場に戻ってくる。それだけでも伊野は許されるかも・・・と思ってしまったのであった。

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