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2009.10.15

ゼロの焦点

今年は太宰治の生誕100周年であると同時に松本清張の生誕100周年でもあり、どちらの作品もこぞって映像化されている。松本清張のこの作品も、太宰の「ヴィヨンの妻」とならんで近く映画が公開されるものの一つ。主演女優たちの写真(広末涼子、中谷美紀、木村多江)が帯につけられた文庫本が平積みになっていて、つい手に取った。
 松本清張の本は、ずっと昔に何冊も読んだのだが、もうあらかた忘れてしまった。この本は、読み始めたときにほとんど記憶がなかったので、たぶん、読んだことがなかったのだろう。ところが、半分くらい来たところで、その後の筋がほぼわかってしまった。どうやら、ドラマ化されたのを見たことがあったようなのだ。Wikipediaを見てみると、1983年に放映されたバージョンのようだ。他のキャストは覚えていないのだけれど、大谷直子が出ていたことはうっすらと思い出せるから。

 こういったミステリーで筋書きを書いても仕方がないので、そうでないところの感想を書こう。
 作品の時代設定は昭和32、3年頃。主要登場人物の年齢はほぼ私の両親の世代に当たる。この作品を読んでいて感じるのは、この時代の空気と、今とはきわめて異なる時間感覚、人間関係などである。やはり、今から50年前となると、もう現代の話というよりは、異次元というか古典の世界に近い。けれど、文章に力があるからどんどん読めるのだ。

 まず、主人公の禎子。父はなく、母一人子一人で、東京の会社勤めの26歳。それまで恋愛経験がないわけではないが、結婚には至らず、お見合いで出会った可もなく不可もなしといった男と結婚することにして、仕事を辞める。一度お見合いで会っただけ、相手のことをほとんど知らないまま結婚というのが戦後もまだあったのか。
 禎子は終戦の年には16、7だから、戦後、新制女子大にでも行ったのだろうか。英会話ができ、英語の詩を暗唱するていどの教養はある。言葉遣いもていねいで、彼女の会話を構成する「〜ですわ」「〜しますの」といった語尾を見ると今では絶滅した言語を見る思いがする。
 そして、立川の米軍基地周辺に多かった米兵相手の女性たち。赤などの派手な原色のコートやネッカチーフを身につけ、スラング混じりの米語を使う。彼女たちの記号は派手な色の服装と、幼稚な米語である。しかし、こうした女性たちが多数みられたのは昭和25年頃までで、占領軍が引き上げると姿を消していった。
 禎子と、こうしたパンパンと呼ばれた女たちとは対照的な存在として描かれるが、しかし、松本清張の描写はきわめて中立的である。パンパンたちは、本人たちの資質や意志とは関係なく、時代に翻弄されてそのような形で生きるしかなかったのであり、そこから這い上がることができた人たちに過去を問うべきではないと考えていたことが伺える。
 禎子、あるいは立川署の巡査の視点から彼女たちについて語るとき、そこには同じ人間としての共感や同情が含まれている。
 
 どうしてこんなことを書くかというと、この文庫の解説を書いているのが平野謙という今や忘れられたような評論家なのだが、それがあまりにひどい内容でびっくりしてしまったからだ。
 まず、ミステリーの読み方に関するきわめて個人的な下らないゴタクがあり、さらにだらだらとあらすじを何ページも書き連ね、どの文章がいいだの、この表現がすぐれているなどと書いたあげく、「良人がかつてパンパンと喚ばれた女性と一年以上にわたって同棲していたことや、自分がその女とみくらべられたことに対する主人公潔癖な嫌悪感がいささかも描かれていない」のは片手落ちだとくだらない難癖をつけている。絶句。
 つまり、平野謙は世の中の女を「禎子」と「パンパン」、無垢な存在と汚れた存在に分けて、自分は潔癖の側に立って汚い側を嫌悪すべきと考えていたのだ。作家も自分の同類であるはずと断じる浅はかさ。
 今時こんなひどい解説がまかり通るとは思えないが、とにかくこの解説の書かれたのが昭和42年(1967)で、当時の「知識人」の感覚がこれほど低劣だったのだということを教えてくれるすばらしい証拠になっている。
 松本清張は、たしかにパンパンであったことは女性にとって隠したい過去であるという前提をこの小説に組み込んだ。しかし、パンパンであった女性を汚れた存在としては決して描かなかった。たぶん、ハンセン病患者とその差別がモチーフとなっている「砂の器」でも同じ構造を扱っていると思う。そこでも、松本清張じしんは、差別を憎んだのであって、差別する側の視点では描いていなかったはずだ。そのことに気づかせてくれたのは、この愚劣な批評のおかげである。なぜ、松本清張の小説が時代を超えて読まれ、繰り返し映像化されうるのか。翻って、平野謙の批評で再読に値するものがどれだけあるのか。新潮文庫もカバーだけでなく、解説も新たにすべきであったろう。

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