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2009.01.20

ラースとその彼女

北アメリカの北部に位置する小さな町。けっして人づきあいが悪いわけではないが、シャイで彼女もいない27歳のラース。亡き両親の住んでいた家のガレージを住居用に改装して一人で暮らしている。母屋の方には兄とその妻が住んでいて、友だちもなく孤立しているラースを気遣い、たびたび食事に誘うが、なかなか応じてもらえない。
教会には熱心に通い、地元の人とも顔なじみ。でも、会社の同僚の女の子のアプローチには逃げ腰。同僚の男性が「お好みの彼女が注文できる」サイトを教えてくれるが、笑ってやり過ごすだけだった。
しかし、そんな彼のところに理想のガールフレンドがやってくる。大喜びで迎えた兄夫婦が見たのは、等身大のリアルドールのビアンカ。動転する兄夫婦。ビアンカはブラジル人とデンマーク人のハーフで宣教師。下半身不随で車椅子がないと移動できない。しかし、道中で車椅子も、着替えの入った荷物もすべて盗まれてしまったという。しかも信心深い彼女は一人暮らしのラースと一緒には住めないというので、兄夫婦の住む母屋で以前、母親が使っていた部屋に泊まることになる。翌日、兄夫婦は「彼女は具合が悪そうだから医者に診てもらったら」と提案、ラースと彼女を町のクリニックに連れて行く。
 クリニックの医師の提案は、ラースのいうことを信じたふりをしろというものだった。

 クリニックの医師は大人の女性で心理学者でもある。彼女は、ラースがそのように振る舞うことには理由があり、それがわかるまで、彼に調子を合わせろというのだ。兄夫婦は途方に暮れるが、腹をくくる。教会のメンバーを通じて、口裏を合わせてくれるように頼み、町ぐるみでラースと「ビアンカ」を見守る体勢が作られる。ラースは定期的に医師を訪れ、みずからのことをぽつぽつ話し始める。兄も自分が、母の死後、家を出てラースをひとりぼっちにしてきたことを悔い始める。
 ラースはビアンカを郊外の湖にドライブに連れて行ったりもするが、職場の上司のパーティにも連れていく。そしてビアンカ自身が病院の小児科病棟でボランティアを乞われるなど、思いもかけず大忙し。皮肉なことに、ラースはいつでも好きなときにビアンカと会えなくなってしまう。前からラースに関心を寄せている同僚のマーゴにボウリングに連れ出された頃から、ラースに微妙な変化が訪れる。
 そしてある日、とうとう大きな異変が。ビアンカが危篤状態になってしまうのだ。そして、救急病棟に運び込まれる。最後に湖を見せにビアンカを病院から連れ出す。兄夫婦がその場を離れた隙に、泣きながらビアンカを抱いて湖に入っていくラース。ビアンカの死後、教会では特別のミサが行われ、墓地に葬られる。ビアンカの墓碑の前にたたずむラースにマーゴが近づき、二人はやがて肩を並べて歩き始める。

 精神分析などが好きな人でなくても、わかりやすいオチである。ラースがこだわりを持つ亡き母のスカーフなどが、何か意味を持つのだろうなと思うけれど、それはとくに説明されない。彼は何かの代償としてビアンカを必要とし、そして必要でなくなったときにビアンカをみずからの手でこの世から葬った。今度は、リアルな人間の彼女とつきあえるようになるでしょう。そういうことなのでしょう?
その予定調和的オチと悪い人が一人も出てこない単純さにちょっとイライラしてしまう。
いくら人口が少ない町とはいえ、一人くらい意地悪な人がいて、「えー、なんで人形なんか連れてるのお」とか言わないものかね。危篤の人形のために救急車を走らせるなんていうのも、ばかばかしいからではなく、倫理的にイヤだし。ハートウォーミングストーリーといっても、いくらなんでも現実離れしすぎていないか?


ラースがその後、マーゴとうまくいったとして、あのビアンカとの日々のことをどう位置づけるつもりなんでしょうね。ラース自身が、あれは人形だったと認識でき、言語化もできるようでなかったら、結局は妄想に生きることになるのだと思うんだけどね。みんなで腫れ物に触るようにして「ビアンカ」を肯定し続けるというのもいかがなものか。評判のいい映画ではあるが、両手をあげて評価する気にはなれないな。

ただ、ラースの場合は27歳の大人だから、突出した現象として見てしまうけど、子どもだったらと考えると、こういった妄想に近いようなイマジネーションというのは日常的といってもいい。
そのときに、その行為をばかげた妄想だと否定したり、笑ったりするのはよくないよね。
そういう風に拡大解釈すれば、なかなか教育的といえなくもないが。

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