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2007.09.07

プリンセス・マサコ

2122va53oll『プリンセス・マサコ 菊の玉座の囚われ人』ベン・ヒルズ著、藤田真利子訳、第三書館。
 今年2月、講談社から予定されていた『プリンセス・マサコ』の翻訳の出版が中止されたことは記憶に新しい。しかし、それが今度は版元を第三書館に改めて、この8月に出版されたことはあまり話題になっていない。
 昨年、原著の内容に対し、宮内庁と外務省が訂正を求めて抗議書簡を送ったことは大きく報道されたが、今回のこの翻訳版の刊行についての扱いは小さい。第一、これほど話題になった本なのに、どこの新聞にも出版広告を見かけない。皇室ネタが大好きな週刊誌もまったくと言っていいほどこれに触れていない。いまだに書評すらも出ない。不思議に思っていたら、主要全国紙がいっせいに本書の広告掲載を拒否していたことを知った。
 版元によると、宮内庁と外務省が著者とオーストラリア政府に抗議したことと、本の内容が「他を誹謗中傷するもの」であるというのが朝日新聞の広告拒否の理由だという。他の新聞社は「朝日新聞の拒否が自社の掲載拒否の理由」だそうだ。また、週刊誌のうち、『週刊新潮』は、版元についてのそれこそ「誹謗中傷」的記事で、『週刊ポスト』は「大新聞による横並びの広告拒否」を報じるという形で間接的にこの本の刊行を伝えてはいる。『ポスト』の記事によれば、広告が載ったのは、二、三の地方新聞だけだったらしい。しかし、他のメディアは不気味なほど黙殺している。このほど、オーストラリアから著者が来日し、記者会見を行ったが、それを報じたのも今のところ、英字紙「ジャパンタイムズ」だけのようである。ほぼ同じ頃にあった「皇太子一家の相撲観戦」は各メディアがこぞって報じていたが。
 第三書館では、本書の出版と並行して、野田峯雄著『『プリンセス・マサコ』の真実 “検閲”された雅子妃情報の謎』という本も出している。講談社が出版を断念した「幻の日本語版」は、百数十カ所にわたって削除された部分があったということを詳しく検証した本だ。そして、この本の出版広告も朝日新聞に拒否されているというのだからあきれる。こうなると朝日が定期的に打つ「言論の自由」についての特集記事などがしらじらしく見えてくる。
 今、この本は書店で自由に買えるし、アマゾンでも10以上の読者レビューがついている。しかし、主要メディアからこれほど意図的に隠された本というのも珍しい。日本のメディアが「自主規制」という形で、国民の知る権利を侵害していることを、メディア内部にいる人々はどう思っているのだろうか。
 この本はいろんな読み方が可能であろうと思う。

宮内庁と外務省の過剰反応から「どんなすごいスキャンダルが書かれているのだろう?」と思った人は、肩すかしを食わされた気になるに違いない。ほとんどのエピソードは週刊誌などで書き尽くされたものばかりらしいから。私自身は雅子がソフトボール少女で、プロ野球選手の追っかけをしていたこととか、ハーヴァード大学での指導教官が『貧困の終焉』の著者の経済学者ジェフリー・サックスであったことなどを本書で初めて知った。また、その当時はニュースになったのだろうが、皇太子が少年時代に初めて訪れた国がオーストラリアだったことも知らなかった。オーストラリア人の著者は、当時のホームステイ先にもインタビューするなど、その立場を十分に利用して取材している。雅子の少女時代の野球選手とのデートなどほほえましいエピソードの暴露はあるものの、中傷したり誹謗したりしている部分は見あたらない。むしろ、不幸な境遇にある彼女に対する同情に満ちていると言っていいくらいだ。雅子の父も、権力欲が強く出世主義のつまらない仕事人間として描かれるが、日本人のエリート官僚によくあるタイプであり、その究極の事例というだけのことである。ただ、雅子が「父の娘」として育った結果、父の期待に応えようとするあまり、悲劇の道を歩むことになったという面はあるかもしれない。「父の娘」である雅子と、「母の息子」である皇太子という描き分けも面白い。また、もうひとつ驚いたのはいまだに雅子追っかけマダムというのが存在するということだ。韓流にもハンカチ王子にも乗り換えず、今もカメラを持って追い回している人がいるとは。ベン・ヒルズはそういった連中ともうまく連携をとって情報を集めているのはさすがである。また、自称明治天皇の孫、中丸薫の談話は爆笑ものであるが、そういうヘンテコな話も含めて、国内外の多くの人に取材している。
 愛子が体外受精によって生まれたとか、雅子の病名は「適応障害」でなく「うつ病」であるということをはっきりと書いているが、これを問題視する読者はいないだろう。公式には言われなくても容易に想像がつくことだからだ。体外受精など(配偶者間体外受精なのだろうし)、隠すこともないが、あえて言わなくてもいいようなことだ。悠仁の出産の経過(前置胎盤だったために帝王切開だったこと)だって、別に報道する必要はなかったと思っているし。しかし、雅子の正式な病名が何かということよりも、誰の目にもあきらかなその原因を取り除くことができないために、治癒の見込みがないということのほうが重大ではないだろうか。「体外受精」と「うつ病」に関しては、皇室の問題としてそれを書いたかどうかということよりも、生殖補助医療、および精神疾患医療についての日本国内の医療の置かれた状況への比較文化的考察として読むことができるだろう。
 本書で主要な批判の対象となっているのは、皇室の中の人ではなく、そのシステムであり、そのシステムを支える宮内庁職員の専横ぶりである。これまでだって皇室について誤ったことを書いた本など山ほどあるだろう。誹謗中傷にあたらない週刊誌のゴシップなんてあるだろうか。しかし、非難の矛先が自分たちに向けられたと思ったからこそ、宮内庁は必死で抗議したのである。皇室言論を好きなように牛耳ってきた皇室御用達ジャーナリストたちも抗議しているらしいが、どちらの言っていることがまともかは火を見るよりも明らかである。そして、皇室の存在を規定した憲法を奉じる我々国民も無関係ではない。1年間に千回もある公務。それにともなう多大な支出。皇室の費用はすべて国民の税金でまかなわれる一方で、皇族には私有財産がない。職業、住居の選択、結婚の決定、子どもを持つかどうか、言論、移動の自由など、基本的人権の大半が奪われた存在に、いったい誰が自らなりたいと思うだろうか。これほどまでに徹底した人権の侵害がおこなわれていること、しかもそれが憲法に規定されていることを、わたしたちは日本国民として恥じるべきではないだろうか。天皇制の皇位継承を云々するよりも前に、皇族の人権回復について考える方が先であろう。今のようにあからさまに皇族の人権が奪われた状況にあっては、たとえ国民が総意(ありえないけど)で「天皇制の存続」を望んだところで、その滅亡は必至である。むろん、皇統が途絶えてもいっこうに構わないが、国家による人権の剥奪はあってはならないと考える。

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