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2006.03.11

鶴橋商店街の戦後史

『大阪「鶴橋」物語  ごった煮商店街の戦後史』藤田綾子 現代書館。
鶴橋というと、朝鮮・韓国系のお店の集まっている場所というイメージがある。JR大阪環状線に乗っていて鶴橋の駅に着くと、ガード下から焼肉の匂いが漂ってくる。エイのフエというアンモニア臭のする刺身を食べたのもそんなガード下の店だし、あの迷路のような市場の中で、エゴマの葉のキムチや、乾燥ゼンマイや緑豆を買ったこともある。
でも、この本を読んだら、コリアン・フードタウンとしての鶴橋の顔は、ほんのここ2−30年の間にできたもので、もともとは戦時中の建物疎開のあとの空き地にできた闇市から、生鮮品、衣料、雑貨などの卸売問屋と小売りを兼ねた市場として発展してきた町だということを知った。
闇市発生当時を記憶する人、鶴橋の商店街を築いてきた人たちからの貴重な聞き取りによって再現された商店街の歴史。

戦後の闇市というと、『東京アンダーワールド』に描かれたように、陸軍や進駐軍の倉庫からの盗品も売りさばかれていたに違いない。本書では、そういった側面は著者の取材の範囲では裏が取れていないということで、詳しく触れてはいない。
しかし、非常に活気のあった様子は当時を覚えているひとたちの証言からもわかる。
また、鶴橋には、近鉄沿線の奈良方面から買い出しに来る商店主が多く、鮮魚商のための特別車両が設けられたとか、何でも揃うので一軒でなんでも商うよろずやの仕入れに都合がよかったとか、衣類の行商人が仕入れに来たという。今はもう、行商という形態が残っていないだろう。
鶴橋では卸と小売りの両方の客によって繁栄してきた。年末には正月用品を求めて、一般客も押し寄せて、通路を歩くこともできないほどだったという。そんな最盛期の描写は、上野のアメ横を思わせる。東京に住んでいた頃、やっぱり年末に正月用品を買いに行った記憶がある。
卸売市場としての鶴橋は、大阪市内、奈良、北摂などに生鮮市場が設立されることにより、客を失っていく。
また、個人客相手の商店としても、スーパーの登場で大きく打撃を受ける。鶴橋は、さまざまな条件が重なって、再開発の機会を逸してしまった。だから、昭和20年代に建てられた建物や迷路のような路地が今も残る貴重な街でもある。
また、もともと朝鮮・韓国系の物資の市場として知られてきたのは、鶴橋駅周辺よりも、少し離れた市場の方だった。鶴橋の駅周辺の韓国系飲食店の出発点は、キムチの行商をしていた女性がこのあたりに立って売ったからだそうだ。
韓国ブームで注目を浴びている店もあるが、商店街全体としてみれば、後継者不足、業種そのものの不振などが手伝って、閉業する店が相次いでいる。鶴橋の衰退の過程はそのまま、地方のあちこちの商店街の衰退の様相と重なる。
今、ビル街の中にレトロな町並みを再現したようなところが流行っているけれど、そういう場所を訪れたときに感じるのはなんともいえないウソ臭さだ。今の鶴橋の迷路のような通りも、レプリカとして保存しようとしたとたんにその生気を失ってしまうのだろうなあ。商店街で商店を営む人も、訪れる人も納得するような再生案はあるんでしょうか。


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