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2005.10.28

いつか読書する日

『独立少年合唱団』の緒方明監督作品。高校時代からの秘めた思いを抱き続ける50歳の男女・・・という地味な筋書きなのに、いくつかの好意的な映画評(そのうちの一つなどは「今年の邦画ベストワン」という絶賛)を見て、どこがそんなにすごいのかと興味をそそられる。あと、主演が田中裕子と岸辺一徳というくせ者ぞろいなのも気になって見に行った。
公式サイト

見終わった直後は、「うーん、うーん、うーん。本年度ベストワンというのとは違うよな。映像も音楽もきれいだったし、俳優たちは文句なく芸達者揃いだったし、ずきんとくるクライマックスへの持って行き方もうまかったけどさ。だけど、だけど」という言葉にならない違和感やもどかしさが頭の中を渦巻いていた。
『独立少年合唱団』も、ぴーんと張りつめた独特の世界を作り上げていたが、これも、一見何の変哲もない平凡な市井の生活を切り取っているように見せて、実は、精緻に作り上げられた虚構の物語、あるひとつの瞬間を描きたいために練り上げられた設定なのだ。
映画には最初からウソとわかってるウソっぽいウソと、ウソくさいリアル、リアルっぽいウソ、リアルっぽいリアルといろいろあるが、この監督の作るリアルっぽさはほんとうに自然なリアルさで、それでいてお話の方は計算し尽くされた完璧なフィクションなんである。

そこんところを整理しきれなくて、見た直後は混乱した。
私だってちゃんとわかってる。映画を見るときに「こういう人生考えられない」なんて身も蓋もないことを考えちゃだめなんだって。お約束としての絵空事なんだからさ、絵空事として楽しまないと。だけど、絶世の美女美男の悲恋物語みたいなあからさまな作り話だとわかりやすいんだけど、この映画みたいに平凡を絵に描いたような人生を選んだ男と単調な肉体労働にくたくたになる毎日を送る独身女、50歳って、まあ、とんでもない設定ですよ、絵空事としては。演じる田中裕子も50(撮影は去年だから49歳だったことになるけど)なら、それを見てる私も田中裕子と同い年なわけで、やっぱり同い年で同時代を生きてきた女がこういう人生観(15歳にして、生まれた町にずーっと住みたいと思い、20歳で一人で生きていくと決め、生き甲斐と言えば。ただただ肉体を酷使する牛乳配達という仕事だという、究極のつつましさ)を持ちうるというのに、まず、「ありえねー!」とか、リアル世界で思っちゃうわけですよ。本をたくさん読む作文の得意な少女が、自分の住む町の外部の世界に関心を持たないっていうのがさ、変だよ。でもって、同じ町に住む初恋の男をずっと思い続けているっていうのだから。
しかも田中裕子・50歳はくたびれたおばちゃんなんかじゃなく、階段を駆け上がる肉体の若々しさは持ち続けており、ほんとに、そんな欲のない人生でいいんですか、同級生!と背中叩きたくなっちゃったりもするわけ・・・なんだけど、それは、まあ、抑えることにして。
ポリティカルコレクトネスとか、ジェンダー批評とかいうのもこの際、置いておいてだな、「作品」としての映画をじっくりと思い返す作業をする。
そういう、いわばめんどくさい手続きを経ると、この映画のよさや、うまさがしみじみと腑に落ちるのだった。
つまり、ある意味、きわめて古風な様式によって完成された物語なのですね。ある一点に向かって収斂していくそれまでの長い語りは、ジグソーパズルのピースのようなもの。だから、この人物造形も設定もそのピースの一つなのだと思えば、納得がいく。そう思って、ひとつひとつのシーンを思い出せば思い出すほど、味わい深さが増してくるよ、うん、うん。
直感的に「ああ、いい映画だったな、ベストワン」と言い切れる人と違って、見終わって「なんなんだ、なんなんだ? あーだこーだ」といろいろ考えさせられたあげく、あー、そうだったのか、にようやくたどり着く私は鈍すぎるんですかね。いや、やっぱ、映画であっても「女の生き方、描き方」には、躓いちゃうのよ、つい。

前置きが長くなったが、あらすじ。
斜面に家々が張り付くように並ぶ「西東市」。
まだ暗い早朝の町を自転車で駆け抜ける女。やがて勤め先の牛乳販売店に着くと、牛乳瓶を冷蔵庫から出して小型トラックに積みこみ、さらにトラックからズックの肩掛けかばんに移し替え、車の入らない階段を駆け上がって、牛乳を配達する。牛乳瓶のカチャカチャいう音、配達する女の軽快な足音、呼吸の音、池辺晋一郎のかろやかな音楽とともに、透明感のある映像が、この坂のある町の朝の空気を浮かび上がらせる。
中学生の時に「この町にずっと住み続けたい」という作文を書いた大場美奈子(田中裕子)は、その言葉通り、50歳になった今もその町で、早朝は牛乳配達、昼間はスーパーのレジ打ちの仕事をして暮らしている。
朝の配達を終えて、自宅の食卓で一人、朝食を取る美奈子。たらいに張った湯に足を浸しながら、目は新聞を追っている(こういう何気ないシーンがうまいな)。書籍広告を見て切り抜く。本が、好きなのだ。
彼女のことを見守るのが、彼女の母の友人だった皆川敏子(渡辺美佐子)。親も兄弟もない美奈子のたった一人の友人でもある。美奈子は幼いときに父を失い、母は美奈子が高校生の時、高梨陽次という画家と自転車に乗っていて交通事故で死んだ。美奈子は高梨の息子、槐多とつきあっていたが、かれらの父母の死後、関係が途絶える。しかし、美奈子の槐多への思いは消えることはなかった。
現在の塊多(岸辺一徳)は市役所の児童課(みらいのおとな課)に勤務する。毎朝、市電の停留所に立つ槐多の目の前を自転車でスーパーに向かう美奈子が通り過ぎる。槐多の乗った市電と併走する自転車。仕事帰りにスーパーに立ち寄るが、美奈子の背後のレジで会計を済ませる槐多。二人はそれほどまでに近いところにいながら、視線を合わせることも言葉を交わすこともない。
塊多の妻、容子(仁科亜希子)は末期ガンで死の床にある。かいがいしく看病する優しい夫を見ながら、夫がどういう人なのか結局わからなかったと思う容子。訪問看護婦のふとした言葉から、槐多が牛乳配達の美奈子を思っていることを察する。自分の余命が短いことを知る容子は、自分の死後、塊多と美奈子が一緒に暮らすことを願う。
(以下、ネタバレあり)

いつもすれ違ってきた美奈子と塊多の再会のきっかけは、ネグレクト状態にある子どもの万引き事件と、皆川敏子の夫、真男(上田耕一)の認知症による徘徊、そして、最終的には、死の直前に容子が看護婦に託した二人への遺言である。万引きの常習犯である子どもを警察に通報しようとする店長(香川照之・・・こういうクサい役がまたうまい)に、「市役所の児童課の高梨」に連絡を取ることをすすめる美奈子。そこで、美奈子と槐多の視線が交錯する。また、徘徊する真男を敏子とともに探す途中で、美奈子が槐多に声をかける。はじめは「高梨さん」と呼びかけていたのが声が届かず、いらいらとしてきて「カイター!」と絶叫し、瞬間的に高校生に戻っている美奈子。
この被虐待児とその崩壊した家庭、敏子と認知症の夫、美奈子の勤め先のスーパーの人々といったサイドストーリーは、美奈子と槐多を動かす微妙な契機として巧みに配置されている。
容子の死後、美奈子は槐多をいざなって、お互いの父と母の事故現場に花を手向ける。そこで、心ならずも断ち切られた高校時代の会話の続きが始まるのだ。30年以上を経て、初めて聞かされる「別れ」の真相。その言葉の意外さに30年の時を越えて激情をほとばしらせる美奈子。「出て行けと言われれば行きます。死ねと言われれば死にます」
そんな言葉にも曖昧にしか答えない槐多に美奈子が「せめて牛乳くらい飲んでください。もういい年なんだから」と言い捨てて自転車で立ち去ろうとするとき、とうとう塊多が抑えに抑えてきたたがが外れる瞬間が来る。
「いままでしたかったこと、したい」
「全部して」

このシーンが圧巻。
「全部して」
このせりふを、地味で地味でじみーな人生を送ってきたとしか思えない、化粧っ気もない(その日、美奈子は家を出る前に口紅を塗ってみるが、結局ぬぐいとってしまう)50の女に言わせるのだから。このせりふひとつのために、ここまでのストーリーがあったのだ・・・。

その激しい雷雨の翌朝も、美奈子はいつも通り牛乳配達に出かけていく。
そして、塊多は、ネグレクトされていた子どもを救おうとして、あっけなく水死してしまうのである。それも微笑みを浮かべて。
塊多の死後も、美奈子はその家に牛乳を配達する。敏子に「これからどうするの」と問われて、「本でも読みます」と答える。そして、丘の上に登って、誰に向かうともなく微笑む。
彼女は、この先、年を取って死んでいくときにも「いい人生だった」といって、同じ微笑みをするんだろうな。あの天井まで本に埋め尽くされた小部屋のある家で。

西東市という架空の市になっているけれど、舞台は監督の故郷の長崎市。ただ、歴史ある長崎という町の色を出さないために、極力、長崎らしい場所は撮らず、海も見せなかったというストイックさ。でも独特の坂の多い町並みはこの作品になくてはならないもの。あの坂と階段があるから牛乳配達という仕事に意味が加わる。
でも、牛乳配達って消えゆく風俗ですよねえ。牛乳の飲み方も変わったし。ほんとに、今も宅配のびんの牛乳を買い続けている人がそんなにいるかしら。
個人的には、末期ガンの容子のシーンはリアルでしたね。身近に、やはり点滴だけで数ヶ月命をつないでいた人間がいたので、あの自宅用の点滴の器具とか、点滴用の溶液のはいった袋を交換するときの一連の手順とか、そうそうそうって感じでした。容子の自宅の病室は、ホテルのような眺望のよさで、うらやましすぎましたが。
それから、ネグレクトの家庭の事例とその処遇の悩ましさもリアルだった。
映像として面白いと思ったのは、認知症を発症した真男の心象風景。文字や言葉が思い出せなくなり、時間の感覚や記憶がぼやけ、行動が混乱する、その感覚を文字やシュールな映像を使って表現していた。認知症になったらあんな感じかしら。
あと、俳優がみんな、うまかったなあ。田中裕子はほんとにふしぎな女優だ。すごい美人とか、自己主張が強い感じでもないのに、他を圧倒する。渡辺美佐子とビール飲みながら、ソファによじ登ろうとして、渡辺美佐子のひざにぶつかってしまい、「あ、いたいいたい」とさすってあげるところとか、じゅうたんの上に落ちたお菓子をぐにょーっと腹這いになって拾うところとか、スーパーの休み時間に体操するところとか、そういったなんてことないシーンの演技が、すごく印象に残るんですよね。
あと、これはどうでもいいことですが、高梨陽次(槐多の父)を演じた杉本哲太が、高梨容子(槐多の妻)の葬式の時に棺を運ぶ人々の中に混じってたような気がするんですが、気のせいかな。もひとつ、どうでもいいことは、田中裕子の夫の沢田研二と岸辺一徳って、ザ・タイガースで一緒だったんだよねえ。30年どころじゃない、もう40年近い昔だね。

以下の映画評には私の気づかなかった多くの視点を教えられました。
zubuzubuさんの自分の眠りを眠りたい、ただそれだけ
medusahimeさんの映画を読むという快楽
ErewhonさんのThe Bad News Erewhon

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