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2005.03.26

沖縄の死亡広告

沖縄の新聞、沖縄タイムスか琉球新報を開くと、黒枠三段組みの死亡広告に全面が埋め尽くされた異様な紙面にぎょっとする。
『沖縄の葬式』という本を立ち読みしていたら、やっぱりこの現象について研究した人がいるらしい。それによると、以前はここまで大げさではなかったけれど、毎日確実に広告収入が得られる(友引の日を除く)新聞社と、県民のニーズが合致して、近年とくにエスカレート気味だとか。たしかに、昔は全面を埋め尽くすほどじゃなかったと思う。
昭和62年の死亡広告は、どちらかというと活字も小さく詰めてあり、続柄の範囲も今ほどではない(注:ここに実際の死亡広告の写真を載せていましたが、削除し、文章をそれに合わせて修正しました(2017.11.6)。今のはもっと大きい活字で一つの広告が占める面積も広い。
亡くなった本人の親戚関係が続柄付きで並べられるのが特徴。クリスチャンの時は、本人の名前の上に小さな十字架までついている。
大きく本人の名前、死亡時刻、死亡理由や葬儀の場所や時刻を案内する文章のあと、喪主(既婚者で配偶者が存命ならばたいてい配偶者。トートーメー論争などがあったので、ひょっとして女性は喪主にもなれないのではないかと思ったがそうでもなかった)に続いて、子ども、孫、ひ孫、甥姪あたりまで並ぶ。きょうだいに配偶者がいればそれも。子孫に配偶者がいれば当然、それも。だから、兄、義姉、弟、義妹、長男、長男嫁、長女、長女婿、孫、孫嫁、孫、孫婿なんていう続柄がつけられる。ここまでくると、葬式の案内という目的を越えて、血縁重視社会を見せつけられる感じがする。
でも、沖縄の人にとってはこの死亡広告はなくてはならないものとされているんですよね。

那覇で、那覇在住の二人の友人(一人は沖縄出身、一人は本土出身)と、この死亡広告のことを話題にすると、本土出身の友人は「たしかに、これは沖縄独特。他の地域では見たことがない」という。
沖縄出身の友人は「でも、これは絶対に必要。とくに年配の人たちは、新聞を開くとまっさきにここに目を通している」という。
でも、葬式に行くための情報だけじゃないよね、これは。
「はー、あそこの長男ヤーにはまだ跡取りがいないさあ」
「いちばん上の娘はまだ独身ね」
「孫の婿はアメリカーだねえ」
そういった会話のかっこうのネタになっているに違いない。それで、ついでに「いい縁談を世話しなくては」なんて動き出すオバサンがいたりするのかもしれない。
(注)削除しました(2017.11.6)。
私だったら、親戚の葬式の広告ごときで、そういった個人の事情が知らない人にまで公開されるのってかなわないなあって思う。
でも、小さいコミュニティに住んでいる人にとっては、そういった親戚関係を頭に入れておくことって、日常生活の中であたりまえのことなのよね。
この間も、いろいろな方にお世話になったんだけど、「あの人とは親戚だから」という言葉をどれだけ聞いただろう。どういう親戚かというと、いとこの嫁ぎ先の妹の、とかとても複雑なのですが、すんなり頭にはいっているのですね。
毎日の死亡広告を使って、県内の死亡事例を性・年齢別、理由別に統計を取り、分析した人までいて、それがまた新聞記事に取り上げられたり。その方も、毎日、新聞の死亡広告を読むのが日課だそうです。

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コメント

すごいですねー。初めて知りました。個人は血縁ネットワークを通じて地域社会にガッチリはめこまれているわけね。少なくとも居場所は確保されているわけで、はみ出ようという気持ちさえなければとっても居心地のいい社会なのかもしれないけど。

投稿: mariko | 2005.03.28 17:21

あと、郷友会とか同窓会もさかんですよね。その文化の肌触りの違いをこよなく愛しつつも、あまりの濃さにたじたじとなるナイチャーも多いはず。

投稿: EMY | 2005.03.28 21:40

わたしも生まれてはじめて沖縄の新聞を読んだとき、
死亡広告欄に目が釘付けになりました。
あれにはびっくり。たしかにプライバシーも何もありません。
でも新聞社には大きい広告収入なんでしょう。
死亡広告と墓石屋さんの広告もセットで載ってますよね。
久米島旅行記、興味深く読ませていただきました。
沖縄のヤギのチーズ、一度は食べてみたいです。
取り落としたデジカメはだいじょうぶですか?

投稿: ごんふく | 2005.03.29 00:13

ごんふくさん、
福岡はまだ余震が続いているのでしょうか。
今朝はまたスマトラで地震がありましたね。

ヤギの乳製品、帰りに買おうかと思ったのですが、買いそびれました。フランスのチーズみたいなのができたら、人気が出るかも。
デジカメはおかげさまで、その後もちゃんと機能しました。

投稿: EMY | 2005.03.29 09:16

図書館で探し物をしていたら、那覇で立ち読みした『沖縄の葬式』という本があったので、また図書館内立ち読み。沖縄の死亡広告は明治まで遡るらしい。さらに、今は友引の日の掲載も別に避けてはいないらしい。

投稿: EMY | 2005.03.30 16:08

なんだか悪意の感じる記事ですね。
知り合いの名前があったら、出席するための死亡広告です。例えば友人の名前が親類の欄にあったら、故人と面識がなくても友人を 慰めに葬儀に出席します。話のネタにするためにチェックするのではありません。沖縄はあたたかい地域です。なんでもプライバシーの侵害と隠して、でも寂しくて知らない人に出会い系で会い、犯罪に巻き込まれるほうがおかしい。
自分の現状をさらけ出して、身内の恥のないように頑張る、助け合う。それが沖縄です。

投稿: sayaka | 2017.11.06 13:56

ずいぶんと古い記事にコメントを下さってありがとうございます。長らく放置していたので、自分でもどんなことを書いていたのか忘れていました。
とても茶化した書き方で不快になられる方もあるとは、書いた当時、思い至りませんでした。
沖縄の風習を笑いものにすると言うような意図はありませんでした。おそらく、全体的に悪意をお感じになったものと思いますが、とくにご指摘のあった箇所を(どこを削除したのか見える形で)削除しました。

投稿: EMY | 2017.11.06 15:28

家族や親族の集まりや助け合いを大事にする文化や価値観を否定しているわけではありません。この文章の中の茶化したような書き方の部分は、沖縄に向けられたものというよりは、「昔ながらの家族制度にはいいことばかりじゃない面もあるからなあ」という個人的な思いを込めたものでした。まぎらわしいですが。

ただ、これを書いたときから12年経って、その間に両親と義理の両親を見送るという体験を経て、葬儀というのが後に残された人々のために必要な仕掛けなのであるということが身にしみてよくわかるようになりました。
そして、沖縄の死亡広告が昔よりも巨大になり、掲載される親族の範囲が広がったということは、広告料が取れるというような下世話な理由だけでなく、人々の住む社会がひとつの小さな集落だった時代から、全世界に広がったことの反映でもあるのだろうと思っています。たとえ故人を知らなくても参加するというところに限りない優しさを感じます。

プライバシーが問題になるのは住んでいる社会が巨大化した宿命でもあると思います。当時は誰も見ていないと思って無断で載せた写真も問題があると思いますので、文中に載せた昭和62年の記事の写真を削除します。

出会い系で犯罪に巻き込まれるのはほんとうに悲しいことですが、ネットという荒野の広がる今、こればかりは、地縁血縁のセイフティネットだけでは防ぎきれないのではないかと思います。

投稿: EMY | 2017.11.06 18:15

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