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2004.06.17

オアシス

丸刈りの痩せた男がバス停でバス待ちの人にタバコをもらって吸う。雑貨や駄菓子を売る店で「豆腐はないか」と聞くが、店番の女性に追い出される。ようやく別の店で手に入れた豆腐、各辺が10cmくらいありそうな立方体の堅い豆腐を手づかみのまま、なにもつけずに、むさぼり食う。そんなに豆腐が好きなのかなあ。すると、店の男が「これも飲みながらゆっくり食え」と、パックの牛乳を渡す。もらって飲みながらにやりと笑って「ヘテ牛乳ないの?」と無邪気に言う男。つぎにはいった飲食店で無銭飲食を通報され、警察に連行される。「お前は前科者だな」という警官。ここで、観客は彼がムショ帰りであることを知る・・・。でも、それは日本人の見方。
映画を見ているときは、最初の豆腐を食うシーンの意味はわからなかったのだけれど、見終わってから公式サイトを見て、20「へぇ」くらい驚いた。韓国では刑務所から出たら豆腐を食べる習慣があるそうなのだ。だから、韓国の観客は、主人公が豆腐を求めるシーンで、あ、この男はムショ帰りだと即座にわかる仕掛け。しかも、それを用意してくれる家族もいないような境遇であることを語っているというのだ。ううーん、なんと奥が深いんでしょう。豆腐一つ食べるシーンに、こんな意味がこめられていたなんて。

この映画のことは、最近の韓国ブームの中でも異色作として取り上げられていて、前からとても気になっていた。
前科三犯、ひき逃げの刑期が明けて出所したジョンドゥは、無一文で町を歩き、家族を捜しあぐねて、連行された警察でようやく弟に面会する。彼の家族、母、兄、兄嫁、弟は、みな、いささか社会に不適応な性格のジョンドゥを疎ましく思っている。彼はひき逃げで亡くなった被害者の家族を訪ね、そこで被害者の娘で重度の脳性麻痺のコンジュに出会う。コンジュの兄夫婦は、新しい障害者用のアパートに引っ越していき、コンジュ一人を古アパートに残して、彼女の世話を隣人に任せっきりにしていた。コンジュが手鏡で日の光を反射させると、そのきらめきの中から鳩や蝶が舞う。一人、残されたコンジュのことが気になったジョンドゥは花を持って彼女の部屋をたずねていく。
この映画の中で、唯一、気になるところと言えば、彼がいきなり、彼女に力づくで迫ってしまうところである。どんなに言い訳しても、これはやっぱりレ・イ・プじゃないでしょうか。いくら未遂に終わって、コンジュが気を失ってしまったことに動転して必死で介護するところがユーモラスに描かれていたとしても。そして、レイプまがいであっても、初めて男に迫られたことで彼女が女を意識して口紅をつける・・・というところも女をばかにしているという気がしていやだった。
が、ともかく、そんな発端の難点はあるものの、彼らの間に交流が始まる。深謀遠慮なんていう言葉とは無縁の、ある意味では社会性を欠いた、しかし、善良さのカタマリのようなジョンドゥは、ホン将軍の末裔を名乗ったことから、コンジュに「将軍」と呼ばれる。また、絶え間ない不随意運動で、顔の表情もしぐさも引きつったままのコンジュをジョンドゥは親愛を込めて「姫」と呼ぶ。将軍と姫の幸福な時間。しかし、彼らの行動は、周囲の人間の「常識」と軋轢を引き起こす。母の誕生日を祝う祝宴(ケーキとともに、巻きずしが出てくる)にコンジュを同行したジョンドゥは、兄と弟に「いやがらせのあてつけか」と詰めよられる。実は、ひき逃げをしたのはジョンドゥではなく、彼は身代わりに刑を引き受けたのだ。ジョンドゥはコンジュを「チングー=友だち」と紹介するが、彼らには障害のある女性と友だちになるなんてことは考えられない。同じような誤解はコンジュの側の家族にもある。コンジュを生きて感情のある人間として関心を持つ人があるなどとは想像もできないのだ。
映画の中で、コンジュを演じたムン・ソリは、終始顔を引きつらせ、手足を硬直させた異形をさらしているが、時折、空想シーンの中で、障害のない、どこにでもいる若い女の子になって、ジョンドゥとじゃれあったりする。
私たちは、その空想シーンを見たときに初めて、この子の顔立ちの可愛らしさに気づいて安堵する。と同時に、その安堵する自分の偽善性に後ろめたさを感じるかもしれない。「彼女、ほんとうは可愛いんだ」って、その「ほんとう」って何? 世界の中でジョンドゥただ1人だけが、「障害者」という枠にはめずにコンジュをコンジュとして見ていた。彼の目には、つねに、空想シーンに出てくるときのコンジュの顔が見えていたんだろう。ただ、この二人の世間的にはあまりにも不器用なつきあい方を見ていると、このままうまく行くはずがないという不吉な予感がしてしまう。私は、どちらかの死を含むような破滅的な終わりだけは避けてほしいと祈るような思いで見ていた。たしかに、ある意味で不幸な結末ではあったが、ラストはむしろほのぼのと明るく描かれており、救いがあった。

この映画のポスターは、二人の主演俳優がベンチに座っているところなのだけれど、その二人は映画に出てくるときの顔とあまりにも違う。ちょっと一本抜けたようなジョンドゥ役のソル・ギョングは知的な青年だし、ムン・ソリは笑顔の可愛い女性である。でも、たぶん、これが、コンジュの見ていたジョンドゥであり、ジョンドゥに見えていたコンジュの姿だったんだと思う。

昔、脳性小児マヒの後遺症で全身に障害を持つ箙(えびら)田鶴子さんの自伝的小説『神への告発』を読んだ。その中に、医療関係者の障害者(女性)へのレイプという問題が生々しく描かれていたと記憶する。レイプする医療関係者の間にある障害者を「女として扱ってやっている」というおごり。被害女性の側の「女として認められた」という複雑な感情についても。読んだのはずいぶん昔のことなので、間違っているかもしれないけれど。障害者として、そして女性としての人権が踏みにじられる屈辱的な体験。だから、二人の交流の始まりのレイプまがいのシーンに、いたたまれなさを感じてしまったのだ。
中山千夏さんと、脳性マヒで障害を持つマリコさんという方の対談を読んだことがあった。マリコさんは健常者の夫との間に息子もいる。彼女はパワフルな活動家でもあり、君臨するヒメでもある。「結婚する相手、まちがえちゃった。もっということ聞く男をみつければよかった」なんてしゃあしゃあと言うのだ。夫はその手記の中で「脳性マヒは醜くない。不随意運動による意志に反した動きには美しさがある」といったことを書く強者でもある。この映画を見て、マリコさんと夫を思い出したりもした。ジョンドゥを邪魔者扱いにしたり、コンジュをモノ扱いする彼らの家族を非難するのはやさしい。しかし、映画館を一歩出たあとも、私たちは本当にジョンドゥやコンジュの側に立っているだろうか?幻想シーンが美しいとか言っているうちはまだダメだと思うのだ。

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コメント

初めまして(^^)
「オアシス」でこちらまでたどり着きました。
映画館を出た後、いろいろ考えさせらえる映画でした。
たけいえみこさんの文章を読ませて頂いて、箙(えびら)田鶴子さんの小説「神への告発」にも興味を持ちました。
トラクッバックはらせてもらいます。

投稿: yummy | 2004.07.15 12:18

ようこそ、お越しくださいました。
yummyさんのサイトも拝見しました。
そのreviewを読んでいるうちに、また、映画を思い出して、ちょっと涙ぐんでしまいました。
いい映画でしたね。
実は、私もyummyさんと同じ、第七藝術劇場で見たんです。

箙さんの本は、文庫になっていると思いますが、これはまた、
賛否両論ありそうな強烈な本です。

投稿: EMY(たけいえみこ) | 2004.07.15 13:53

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